協力隊員のイメージと現実
「アフリカで井戸掘るの?」
協力隊に参加すると言うと、こんな反応が返ってきます。(実話)笑
まぁこれは極端な例としても。
一般的なイメージとしては...
電気も水もない場所で
家と呼ぶにはためらわれるような小屋で寝起きして
真っ黒に日焼けしながら
黒人と一緒に屋外で仕事する
という感じでしょうか。
もしかすると、協力隊に参加しよう!という人が初めに持つイメージも、大差ないのかもしれません。
サモアから帰国する先輩隊員を送り出して、すごく印象的だったのは「サモアなんて考えてもいなかった。本当はアフリカに行きたかった。」と口々に言っていたことです。
帰国隊員だけではなく、私が話を聞いた中で「サモアが第一希望!」という隊員は皆無。
もちろん「だからイヤだった」という人もいませんでしたが。
やっぱり一番人気は「アフリカ」でした。
でも...アフリカって広いですよね。
地中海沿い、東・西、内陸、サブサハラ、国・地方によって文化も経済状況も言語も、大きく異なります。
日中韓のように古くから影響を与え合って似ている国はありますが、「アジア」と一口に言って、例えば日本とタジキスタンを一緒にされたら、「いや、多分だいぶ違いますけど」って思いますよね?笑
で。
「協力隊」でイメージされるのは、おそらくサブサハラ(まさにタンザニアとか)。
本当に貧困なエリアで、水資源や農業に従事している図だと思いますが。
前回の2005~07年も、2017年現在も、そんな隊員はほぼゼロです。
もちろんアフリカへの派遣人数は最大ですが、同様に中南米やアジアにも多く派遣されています。
中には、中国、フィリピン、インドネシア等、途上国とは言えない中進~中興国もあります。
しかも(昨日書いたように)首都に派遣されることが多いので、地方出身者にとっては、地元より派遣先のほうがよっぽど都会!なんてことも多々あります。
いやサブサハラだって、ナイロビ、ダルエスサラーム、ヨハネスブルグ、アディスアベバなど、どこも大都会ですね。
余談ですが、12年前の話。
同期隊員がマニラに派遣直後、腸チフスで入院したので、お見舞いメールすると即レスでした。
どういうことか尋ねたら「病院に無線LANが飛んでる」と!
その当時は日本でもそんな病院、ほぼなかったのに...。
最近は、電気・水などのインフラが(止まることはあっても)ないエリアに派遣されることは多分ないかと。
家も、防犯上の理由でJICAが認める住居でないとNGなので、かなりしっかりしています。
治安が悪いエリアは警備員がついたり、中南米を中心にホームステイだったり。
そして職種も、農業やインフラ業は減り、今は教育系が中心です。
もちろん、木に黒板を打ちつけて青空授業!なんて学校は幻想です。
程度の差こそあれ、校舎があって、黒板と机・いすがあって、制服を着た生徒たちを教えます。
特にPC系の派遣も多く、エアコンが効いた教室にずらっとPCが並んで、という図も珍しくありません。
物資も、たいていは近くの先進国から輸入されてくるので、(高いにしろ)存在してます。
マクドナルド、SUBWAY、Levi's、NIKEなど、グローバリゼーションを肌で感じます。
↓アピアのスーパー。
...だからなんなんだ。
えーと。
協力隊員は、想像されているより多分ずっと便利で豊かな環境で生活・仕事しています。
不便はあっても、日本の生活よりよっぽど低ストレスに感じる隊員のほうが多いかと思います。
なので...
>協力隊への参加を考える人
勝手なイメージで立ち止まらず、思い立ったが吉日。さっそく応募してみてください。
合格してから悩めばいいんです。笑
アフリカでも、どこでも楽しめます、きっと。
>周りに隊員や関係者がいる人
「変わってる人」扱いせず、優しい気持ちで付き合ってください。笑