Notes in Apia

常夏の島サモアで暮らす、青年海外協力隊員の覚え書き

サモアの家・家族

今日から少しずつ、村でのホームステイを振り返ってみます。

 

が、私の滞在した家は、歴史あるマタイの家族で、言うなれば地元の名刹のため、平均からは大きく外れています。

なるべく、この家ならではのことと、この村やサモアで普通なことを明確にするようにしますが、一応ご留意ください。

 

家族

サモアでは、大家族で住むのがふつうです。

住む島が違う(ウポルorサバイイ、外国)のでもない限り、みんな集まって暮らします。

おそらく通常は祖父母が一組で、その息子・娘夫婦が何組かと、その孫たちのようです。

 

子供は非常に多く、若夫婦でも4人くらいはふつう。

8人とかでも全然おかしくない感じです。

 

学校を終えると海外(主にNZ)で働くケースが多く、そこで結婚して住みつくことも多いようです。

なので、子供はたくさんいても、サモアで祖父母と一緒に住むのは数組の息子・娘夫婦・その子供たちとか。

 

シングルマザーも多いようで、孫たちはみんなでまとめて面倒を見ます。

誰が誰の子供で、誰と誰が兄弟姉妹etc.、誰も気にしていない印象です。

 

帰省したり、短期の出稼ぎに出たり、遠縁の親戚が来たりで人の出入りが非常に多く、居住者数が一定しないのも割とふつうのようです。

 

サモアの家は「ファレ」と呼ばれます。

この単語自体は「建物」という意味なので、建物は何でもファレなんですが...。

 

ファレの特徴は「屋根と柱だけで、壁がない」ことです。

もちろん、壁で囲まれたエリアがあったり、全部壁で囲まれている家もありますが、サモアの伝統的な家は、壁なしのオープンファレです。

ホントに壁なしのところにベッドや家具が置いてあるので、雨風どうするの?と思ったら。

テント地のロールカーテンが上から下ろせるようになっています。

が、よほどの雨風でない限り、多少濡れるのは気にせず、そのままです。
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...南国感がすごい。笑

が、TVなど電化製品の傷みの早さは相当かと思います。

外に置いてあるのと、まったく変わらないので...。

 

敷地内にはいくつかのファレがあり、それぞれ会議、煮炊き、食事、寝るなど、使い分けます。

私の行った家はマタイなので、マタイ会議用の立派なファレがありました。

が、月イチくらいしか使わないので、普段は雨の日の物干し場になっていたり。

 

煮炊き・食事は、家畜(豚や鶏、犬)が入らないよう、壁があったり、オープンファレでも網で囲ってあったり。

野菜の皮や余った食材などは、地面に放っておけば家畜が食べるか生分解されるので合理的です。

中でもココナツは、搾りかすは家畜が食べ、剥いた皮は炊きつけに、葉の部分もカゴを編んだり、乾いたものを燃料にしたり、捨てるところがありません。
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寝る用のファレは、一応夫婦ごとに分かれていますが、適当にどこでもゴロ寝してしまいます。

ベッドが人数分あるわけではなく、ココナツの葉で編んだマット(要はゴザです。フカフカ感ゼロ)を敷けば、そこが寝床という感じ。

床はコンクリ打ちっぱなしか、その上にカーペットを敷いただけなので、(試してみましたが)硬くて寝られたもんじゃありませんでした。汗

開放感はすごいですが、蚊もまたすごい。

私は蚊帳を吊って室内のベッドで寝てました...。弱

 

↓夜はこんな感じ。
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...で、これらのことは、実は首都アピアでも基本的に変わりません。

防犯とかプライベートとか、気にしなくていい文化と言うか。

一応、生垣(もちろん金網のところも)で敷地は明確だし。

犬を複数匹飼っていることが多いので、それが防犯。

まぁそもそも泥棒が(ほぼ)いないのでしょう。

 

後日書きますが、家族や村(コミュニティ)の結びつきが強く、かつ人口が少ないことが影響しているかと。

青年海外協力隊(の募集案件)の真実

職場2日目。

特に進展はなく、JICAに提出する最初の報告書を書き始めたりしてます。

 

↓選挙。学生組合的なものがあるらしい。

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あ、学科長(女性)には昨日の帰り際に会えましたが、特にプラン等はなく、何をするか等々、これから一緒に考えようか、という感じ。

私の案件の募集要項には、「ロボット工学の基礎・導入部を指導できる人材を必要としている」なんて書いてありましたが。

「ロボット工学?うーん、私よく知らないんだけど。そういうコースもできたらいいわよねー。ま、それはそれとして、何やってもらおうかしら。ウチの学科だけで働くんでいいのかしら?何が専門?うーん、電気回路かぁ。プログラミングは教えられない?」みたいな。

 

...私は2回目の協力隊だし、募集要項の内容とかけ離れている現状に凹んだりしませんが。

勢い込んで途上国に来た、ボランティアスピリッツに燃える若者には、ちょっと辛いかもしません。

 

ということで、本題。

青年海外協力隊(の募集案件)の真実

なんてタイトルにすると大げさだし、隊員経験者なら(多分)誰でも知っていることですが。

青年海外協力隊の募集案件のほとんどは、「派遣先からの自発的な要請ではない」んです。

一般的なイメージとしては、途上国の自治体や機関、学校などから「JICAさん、~で困ってるんです。助けてもらえませんか?」なんて要請があって、それにJICAが応えて日本でボランティアを募集する、というように思われているかと。

 

が、現実には、JICA側が「こんな事業やってるんですが、ボランティア要りませんか~?」と各省庁・自治体などに声をかけ回って、案件をかき集めてくる、というほうが圧倒的に多いし、真実に近いイメージと思います。

(もちろん、かき集めた案件を精査していますが、国や時代によっては実績(≒派遣人数)優先だったりもするようです)

さらに、そうやって案件をかき集めてから、実際に人を募集→応募→試験→訓練→派遣まで、どんなに早くても1年半はかかってしまいます。

例えば、今回の私の場合、案件が公開された最初の募集で応募→合格してますが、派遣先の要請から実際の派遣まで2年経ってます。

 

だから派遣先に行っても、

 ・ボランティアが来ることを知らない

 ・研修生の受入と勘違い

 ・そもそもJICAって何?

なんてことはザラです。

ま、責任者が変わってたりもしますし。

ひどい場合は初日から、「仕事?好きなことやれば。それよりお前を受け入れることで、日本からいくらもらえるの?」なんて言われる隊員も。

 

※この隊員は、さらに「え?金、もらえねーの?じゃ、帰っていいよ。別にお前自身は要らんし。」とまで言われたそうです。

 

新隊員の多くが夢想するであろう、「おぉ、待ちに待った日本からのボランティアがようやく来てくれた!ありがとう!助かるよ!一緒に頑張ってくれ!」なんてことは、99%ありません。

もしかすると、かなりレアなラッキーケースとして、そんな案件もあるかもしれません。ってレベル。

 

援助慣れした国だと、「JICAさんには辺境の小学校の先生をお願いしたいんだよねー。ウチの国の人間、誰も行きたがらないからさぁ」とか。

実際、そういう国では、辺境の学校は先進国からのボランティアで回っていたりして、都市部の学校より授業レベルが高いなんて皮肉な状況もあったりします。

 

...こういう事実、すごく大切だと思うんですが、誰も教えてくれません。

だから、理想が高く、やる気に燃えていればいるほど、この現実とのギャップにより、早々に心が折れてしまうことがあります。

 

...それってJICAにも責任がありますよね。

せめて国内の事前訓練あたりでちゃんと伝えればいいのに。

 

じゃ、どうする?

でも「求められていないから力になれません・やる気が出ません」というのはちょっとね、と個人的には思います。

まぁ元々ボランティアなので、イヤならやめて帰国すればいいのですが。

青年海外協力隊は、あくまで日本の税金で活動してるわけで。

募集~派遣に至るまでだけで、(少なく見積もっても)一人あたり1,000万くらいはかかってるわけです。

さらに活動1年につき1,000万くらい?

(諸経費いろいろを考えると、そんなに外れてないかな、と考えますがいかがでしょう?)

 

あ、税金を使ってるんだから甘えるな、と言いたい訳ではなく(それも若干あるけど)。

「求められているかどうかに関わらず、自分のできることを見つけて、少しでも何かを積む」のがボランティアなのかな、と。

実際、ほとんどの隊員は、そうやって活動しているんだと思います。

 

「何かを残してやるぞ!」「結果を出すんだ!!」という勢いも大切なんでしょうが、「肩の力を抜いて楽しみながら、できることをする」くらいの隊員のほうが結果的に「いい活動」をしているように感じます。

 

...最後はなんか自分の現状に対する言い訳になってる気もしますが。笑

WS loves NZ

ずいぶんサボってしまった...。汗

 

言い訳

えーと、8日間のVillage stayの後、自宅に引越。

ようやく今日から職場に通い始めました。

 

ということで、村からアピアに戻ってから毎日バタバタでした...。

村の生活や新居のこと、これから少しずつ書こうと思います。

 

が!

問題なのは、自宅では携帯の電波が弱く、ネットが異常に重いこと。

Skypeでのビデオ通話はもちろん、LINE通話も途切れ途切れで会話にならず。

ニュースを見ようにも、見出し一覧すらダウンロードできたりできなかったり。

屋根の上にWiFiアンテナが設置してあるようなので、これで何とかできないか画策中。

 

ということで、これは職場(大学)で書いてます。

ま、最初は仕事もないし。

って言うか、いまだに上司(学科長)に会えてないし。

サモア流に則って、何事もゆっくりのんびりやります。笑

 

以前書いたとおり、職場は個室(2人部屋)だし、エアコンが効いてて快適です。

アカウントをもらえばネットも使えるし(今はスマホで自前)。

コーヒー・紅茶も飲めるし、詰所には冷蔵庫もあって言うことなし。

ホントに青年海外協力隊か!?って思われそう。

 

サモアは外食が意外に高く、庶民的な店でもWST8~10(≒360~450円)します。

これ、現地人の金銭感覚では、おそらく800~1,000円くらい。

が、大学は学食もあるし、校門のそばに露店があるので安いです。

↓今日のランチ。露店で買ったチキンカレーWST3(≒135円)。レモンジュース付。
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↓ついでに通勤ルート。車が溜まってるところが校門。海が見えて気持ちいい。
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本題

大学の勤務時間は8-17時(もちろん建前です)なので、8時に行きますが。

サマータイム中で日の出が遅いので、ほぼ夜明けと同時くらいに家を出ます。

たとえば今日は日出7:30/日没19:49です。

え?サマータイム要らなくない?と思いますよねー。

ま、これはNZに倣っていると思われます。

 

NZとの結びつきは想像以上です。

・体感的な日付を合わせるために、日付変更線を変えた!(2011年12月30日が存在しなかった)

 ※アメリカ領サモアは元のままなので、東西サモアで実質1日ずれている。

・同じく2011年、車線を右側通行から左側通行へ変更!

・2017年、ポンド・ヤード法から、メートル法に完全切替!

等々。

 

いずれも割と最近の出来事ですが。

日本でやろうとしたら大パニックですよね...。

 

追記

日本ではニュースになっていないかもしれませんが、大洋州地震が頻発しています。

 3/2 M4.5 トンガ周辺

 3/4 M6.3 ソロモン諸島周辺

 3/6 M6.5 パプアニューギニア周辺

サモアでも2009年、津波による大被害がありました(Village stay先で痛感しました)。

数日前、東北でも大きな地震があったそうですが、日々の備えが肝要ですね...。

 

※「WS」は「Western Samoa」、サモアは旧称「西サモア」でした。今は「サモア独立国」です。

大家族!

サモア研修の締めくくりとして、村にホームステイに来ています。
ステイ先は、ウポル島南部のFalealili郡?にある、Vaovai村。
新隊員6人それぞれが、別々の家に1週間ステイします。

 

他のみんなは、2~7人くらい(要は一家族)の家に行っていますが、私はなんと15人家族!と聞いてドキドキしてました。
が、行ってみるとそれ以上。
大人だけで10人、子供が7人、計4世帯?が同じ敷地に住む大家族でした。
(さらに犬3匹、豚10頭くらい、鶏40羽くらい!)

 

祖父・祖母、大叔母、父母、その姉・弟・兄夫婦、さらに子供たち。
片親がNZで仕事していたりすることも関係するのか、どの子が誰の子とか全然関係なく、一緒に生活しています。
お婆ちゃんやお兄ちゃんが宿題を見てあげたり、みんなで2歳児の面倒を見たり、とても仲良しで合理的。
私も非常に温かく迎えられ、さっそく家族の一員として楽しんでます!
他人どころか、言葉も満足に通じないにも関わらず、あまりの居心地の良さに、家族とは?なんて改めて考えてしまったり。

 

祖父・祖母は、なんと13人の子持ちで、孫は41人いるとか。
大半はNZやOZも出稼ぎに行って、そのまま現地人と結婚して住み着いているとか。
もちろん帰ってくる人もいて、兄嫁はNZ人で、娘がアメリカから遊びに来てたり。

 

他にも山ほど書きたいことがありますが、キリがないので、ひとまず今日はここまで。

 

PCを持ってきていないので、デジカメで撮った写真etc.、アピアに帰ったら追加します。

サモアの正装(♂)

今日からvillage stayということで、久しぶりに正装しました。

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↑上から、アロハシャツ、もらったネックレス、ファイタガ、ビーチサンダル。

 

えーと...本当にこれが正装です。

冠婚葬祭や大学の講義はもちろん、省庁への表敬訪問もこれでOK。

他に、日曜の教会は白シャツというルールのようですが、外国人だしOKとのこと。

 

すべて現地調達可能です。...って、当たり前か。

協力隊員にとっては、荷物が少なくて済むのでありがたいです。笑

実際、長ズボンや革靴、ネクタイetc.は着る機会がないので、まったく必要なし!

むしろカビが生えるだけだから持って来てもムダ!とも言われました。実感。

 

そしてファイタガ!

正確には、ie faitagaという、男性用の巻きスカート。

これが予想外に快適です。

本当は下着と短パンを履いた上に着ますが、下着だけだったり、何も履かずに!着たりもします。

私はさすがに下着は履きますが、風が入ってすごく涼しい!

女性が夏にフワッとしたスカートを履く理由が分かった気がします。

 

すごい気に入ったけど...

日本で着るのは難しいよなぁ。汗

Samoa Cultural Village

昨日でサモア語研修が終わり、明日からVillage Stay、谷間の今日はSamoa Cultural Villageという体験施設?に行ってきました。

歌やダンスはもちろん、カービング、ココナツ削り、刺青etc.が見学でき、カヴァセレモニーの実演やココナツジュースまで付いて、なんと無料!

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2時間に亘ってサモアの文化を解説してもらえて(もちろん英語)、ふつうに1,000円くらいは取っていいような内容だったので、超!おすすめです。

平日オープンですが、火~木10:30からのツアーがマストです。

...って、誰も来ないか。笑

 

すべてを書いているとキリがないので、印象に残ったことだけ。

・ココナツ削りはタンザニアと同じ方法!そもそもはどこ発祥なんだろう?

・刺青はサモア発祥と主張。...うーん。英語の「Tattoo」は、サモア語「Tatau」を含めたポリネシアン圏が語源と。

真偽はともかく、完全に文化の一部。刺青してたら一律で入湯NGなんて、ちょっと視野狭すぎかもね。

・Tapa(木の皮で作る布)の製造は機械化が難しそう。高価な理由が分かった。

サモア人は、ミュージシャンでもチューニングがずれてても気にしない人が多い!笑

 

ランチは歩いてすぐのNourish Cafeへ。

ベジタリアングルテンフリーに対応したメニューが数多くあって、内装も、ここがサモアであることを忘れる、超おしゃれカフェ。

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もちろんお値段も最上級でしたが、味も大満足レベルでした。

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↑チリチキン(WST28≒¥1,260)。鶏肉の下にあるのは、タロイモのスライスとパルサミ(タロイモの葉をココナツミルクで煮たサモア料理)。

 

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↑食べ物ついでに、昨日のランチ。現地スタッフおすすめのAmanaki Hotelのフィッシュサラダ。おいしかった!

 

...2日連続で高級ランチを食べてしまった。汗

初Live!

...と言っても、ちらっと演奏しただけですが。笑

 

今日はサモア語研修の発表会?でした。

いつものホテルの大会議室を借りて、サモア語で自己紹介&ひとネタ。

集まったのは、JICAサモア支所のスタッフ10名くらい(日本人&サモア人)。

 

ひとネタは何でもいいそうですが、歌が多いということなので、私がギター(ドミの共用品)を弾いて、みんなで歌いました。

サモア語の教科書に載っている曲は、過去の隊員たちが何度もやっていると言われ、先生に紹介してもらった曲を。


La'u Lupe - The Mavaega Sisters

シンプルですが、日本人の心にも響く、切ないメロディーですね。

しかも、このバージョンはC,C7,G,F,Amくらいしか出てこないので簡単です。

いくらなんでも...だったので、最後ちょっとだけ変えてみました。

 


==========
La'u Lupe (capo1)
==========
C
La’u lupe ua lele, lele i le vao mao
G                                                     C
Talofa e i la'u pele, la'u pele ua leiloa
C
Ta'agae o teine o lo'o ua gasolo mai
G                                                 C C7
Ou mata e tilotilo e te le o sau ai
 
F                 C
Ua to'ulu'ulu mai
       G                         C  C7
O le sau mai heremoni e
F                  C  Am G               C
Ua to'ulu le alofa i luga o Kipeona

Oi oi oi e i lenei malae
O le oti fa'afuase'i ile lalolagi e
La'u fua rosa e la'u fua veloveta e
La'u fua ua uimoto ae le'i matala e
 
Ua to'ulu'ulu mai
O le sau mai heremoni e
Ua to'ulu le alofa i luga o Kipeona
 
Ua to'ulu'ulu mai
O le sau mai heremoni e
F      G/F   C   Am  Dm  G      C
Ua to'ulu le alofa i luga o Kipeona