「学ぶ」とは?
物理の先生の息子さんが亡くなって忌引き。
ということで、穴埋めをする先生のヘルプをしました。
教養課程の基礎物理。
勝手に授業を進めるわけにもいかないので小テスト。
人数が多いので、試験官としてのアシストでした。
↓若いから細い子も多い。笑
1コマ60分なのですが、テストは5問のみ。
教科書・ノートの参照が自由で、電卓もOK。
しかも4択。
...え?それって簡単すぎない?
せめて選択式じゃなくて記述式にしない?
↓ちなみに内容も超簡単。
サモア人の先生曰く「教科書・ノートを見ないと全然解けないからテストとして成立しない。手計算も苦手で間違いばかり。選択式なのは、採点するのが楽だから」。
しかも小テストだけじゃなくて、中間テストや期末テストも同様なんだとか。
教科書やノート、電卓をシェアするので、当然のように答えもシェアしちゃったり。
隣の答案を写して、みんなで間違ってる例も多数。
先生は「サモア流だよねー」なんて笑ってましたが...。
うーん...何からツッコんでいいやら。汗
何でも他の国と比べちゃいけませんが。
タンザニアで教えていた技術中学(日本で言う高専かな?)では、持ち込みも電卓もNGだし、記述式テストが多かったです。
私のテストは毎回そうでしたし、他の先生もたいていそうでした。
カンニングなんて滅多にないし、もしバレたら木の枝でお尻を叩かれる上、割と深刻な問題になりました。
最近の日本の大学はどうなんでしょう?
カンニングはもちろんNGとして、教科書・ノートとか電卓はOKだったり??
たしかに実際の社会を考えると、PCや常時ネット接続が当たり前な世の中なので、調べようと思えばいつでも調べられるし、自分で計算する必要もありません。
我が身を振り返っても、回路設計とか、資料作るとか、英語で何か書くとか、全部PCとかネットに頼ってますね。
ちょっと調べたり、確認したり、素材探したりはもちろん、簡単なミス校正もしてくれます。
「大切なのは自分の頭で考えることだけ」と言ってしまえばそうなのですが。
そういうこと言い出すと、極論して、語学とか歴史とか学ぶ必要なくなっちゃうよなぁ...。
そもそも、大学で学ぶ意義って何でしょう?
日本だと専門的な知識や経験を得ることだと思いますが、サモアでは先進的/専門的な研究をしている訳でもなく。
大半は、edXとかフリーの教育素材で自習しようと思えばできることのような気もします。
むしろそっちのほうがクオリティ高かったり...。笑
ちょっと極端な例ですが、このように「派遣国の人が何を求めているか」と「協力隊員が何を提供したいか」は、割と一致しません。
これが協力隊員にとって、大きなテーマになることが多いように感じます。
ひとまず私は「中間テスト・期末テストでは持込も電卓もNG」と事前に告知しておきたいと思います。
どうやって履修・取得しようと、大学での1単位の重さは国際的に同じですからね...。
あまり国際標準から乖離した単位はあげられません。