世の中、比べられないのよ
関係ない前置きが長すぎるので、先に目次を。汗
サモアの不思議
木・金と、理学部のワークショップでした。
教員は約40人いるんですが、木曜に集まったのは半分強...。
金曜は9時スタートなのに、時間には学部長しかおらず。
次の人が来たのが10分過ぎ...。
結局30分待ったけど20人しか集まらず、とりあえずスタート。
まずは学科ごとに集まって話し合いですが...
数学科は3人だけ。なんと学科長すらいない!
コンピュータ学科は6人。教員数が一番多い学科なのに。
理学科が一番優秀ですが、それでも10人。全員は集まらず。
我が学科は、いきなりプロジェクタが映せなくてグダグダ。
えーと、コンピュータ学科でしたよね、ウチ?笑
結局、会議したのは20分くらいで最初のティータイムへ...。
↓これがタイムテーブルですが...飲食多すぎじゃない?
同室の先生たちは、ふだん1.5~2時間おきに必ず何か食べてますが。
まさしくその通りの時間割!
↓ティーって言うか...軽食です。
みんな全種類を4~5つずつとか、ガバッと持っていきます。
2時間おきにそんなに食べてたら...そりゃ太るよー。
ティータイムになると、ほぼ全員が集まってるのがサモアの不思議。笑
本題
前置きと全然関係ありませんが、M-1観ました!
ネットの普及はありがたいですね。
日本にいるときより確実に日本の番組をたくさん観てます。笑
※日本じゃTV持ってないので。
M-1は楽しく観たんですが、感想はさておき。
その後が話題になってますね。
演者が酔っ払って審査員に暴言吐いたのをSNSに流したとか。
...ま、若い時はそういうこともあるよねー。
なんて思ったら!
2人ともオレとそんな変わんないじゃん!!
アラフォーにもなってそれはないわーーー。恥
正当な評価って?
まず、ふつうの社会人ならアラフォーまで待たなくたって
世の中に「正当な評価」なんて存在しない
なんてことは当たり前のこととして認識してます。
って言うか、そもそも「正当な評価」って何だよ?って話ですよね。
たしか前にもオリンピックネタで書きましたが「走る/泳ぐのが速い」、これならシンプル。
比べやすいというか、勝敗がはっきり白黒つきます。
「どっちが美しい」なんてのは...比べられるもんじゃない。
もちろん、評価をはっきりさせるために色んなルールがあれど。
浅田真央が「回り切れてない」とか「踏み切りの角度が」とか、素人には全然分かんない。
いいじゃん、トリプルを女性であんなに飛んだの初なんでしょ?それだけで素晴らしいじゃん!!
審査員の中ですら判断が分かれるようなことを基準にするっておかしくない?
陸上競技のスタートとかゴールとかは、とっくに機械の判断になってるんだし。
それくらい基準は明確じゃないと。
はっきりできないことを基準にするのがおかしいし、それで競うのもどうかと思うんだけど。
スキージャンプとか、遠くに飛ぶだけじゃなくて、飛型点って何だよ!?
遠く飛んだほうが勝ち!ってほうがよっぽどシンプルで明確だと思いませんか?
一番速く走ったけどフォームがダサいから銀メダルです!っていうのと同じでしょ?あり得ーん!
上村愛子がモーグルで4位になったときも悶々とした人、絶対多いと思う。
柔道でも、篠原は完全に勝った気で相手も完全に負けた気でいるのに逆の旗、ってのもあったな。
「競う」ことが前提のスポーツだって、こういうのが山ほどあるわけですよ。
競いようがない
で、M-1。
「面白い」なんて、比べようがない=競いようがない。
人によって感じ方が全然異なるものだから。
だからこそ、THE MANZAI(以前)でもKOCでも、審査方法が違ったり変わったりするわけで。
大体、M-1の審査基準って審査員に任されてるんじゃなくて?
「(自分が感じた)面白さ」なのか「会場のウケ」なのか、「笑いの斬新さ」「喋りの技術」etc.なのか。
博多大吉が審査した時は、後からラジオで自分の基準について話してたけど。
別に「好き嫌い」で点数を付けたっていいんでしょ?
つーか、そのシステムが不満なら出るなよ、とも思ったり。
逆に言えば、M-1決勝は審査員7人にさえ刺さればいいわけで。
お客さん全員の投票とか、視聴者の投票とかより、ターゲットが絞りやすいとも言えるかと。
例えば営業さんなら、商談相手によって商品はもちろん、プレゼンの方法を変えるなんて当然で。
そういう努力の方向だってあるんじゃない?
「広く浅く万人に受け入れられるものを目指す」のか、
「例えわずかな人にしかウケなくても、深く刺さるものを目指す」のか。
世の中のことって「おいしい」とか「きれい」とか「気持ちいい」とか、たいてい主観であって。
客観的・明確に比べられないからこそ、自分は何をどう選択するか、でしょ?
特に芸事全般はそうだよな、とも思います。
絵画も彫刻も陶芸も映画も音楽も、何でも。
ある人にはすごく刺さっても、別の人にはまったく刺さらなかったり。
そういう「そもそも比べようがないもの」を扱ってる以上は、「それでもあえて比べる時に生じる無理」は受容しないと。
「比べられないもの」でも、自分の中に「良い/悪い」の明確な基準があるのはいいこと。
でもそれが他人と違っているのは、どうしようもない。
何なら、その違いを理解しあうのだって不可能だったりする。
だからこそ、コンクールやコンテストに出るってことは「全部委ねます」ってことなんじゃないの?
それくらいの覚悟は当たり前に持っとこうよ、もういい大人なんだから。
個人的には、コンクールもコンテストも、何なら「比べようがないスポーツ」も、正直好きではありません。
冬季オリンピックとか、勝敗をなくせばいいのに、なんて思ってみたり。:p
「いい音楽」とは
身も蓋もないですが、そういう「比べられないもの」の評価は「売れる/売れない」です。
残念ながら?少なくとも現代の日本はそうなっちゃってます。
特に民間企業にいると、「売れる」は正義です。ビジネスですから。
マジョリティーにウケるってのは本当~に大切。
自分の企画や商品が売れないと誰も何も聞いてもくれません。
売れれば何言っても聞いてくれるんですが。笑
音楽や映画もそうで。
「いい音楽」「いい映画」は、一般的には「売れた音楽」「売れた映画」ですよね。
それはもうどうしようもない。
ただ、自分にとって「いい」かどうかは、まったくの別問題。
昔、「**年のトップチャート100」みたいなのを見て、「いい」と思える曲が2曲しかなく...。
そのときに自分の好み(基準?)が一般とはかけ離れてることを再確認しました。涙
そりゃ、ミュージシャンで食ってこうなんて、間違っても思えないよなぁ。
多分ね、チャート上位に君臨してる皆さんも、本当に自分が好きで「いい」と思う音楽だけをやってる人なんてごくごく少数だと思います。
おそらく売れれば売れるほど。
だって、それで食わさなきゃいけない人がどんどん増えていくから。
自分で事務所もレコード会社もやって、スタッフも家族だけ、とかなら別なのかもだけど。
逆にそういう人たちは「本当に好きな音楽」をやるからこそ、どんどん売れなくなるっていう...。悲
そんな私がデビュー直後から(もう10年以上)推しまくってるのがRie fu。
↓出たばかりの新譜。
私の好みの中では、かなり一般ウケもいいほうだと信じてるんですが...。orz
彼女の音楽はだいぶ「いい音楽」です(私基準)。笑