Notes in Apia

常夏の島サモアで暮らす、青年海外協力隊員の覚え書き

犬好きの憂鬱

サモアの家には、たいてい犬がいます。

もちろん飼っていない家もありますが、飼っている場合はまず間違いなく複数飼っています。

ちなみに、私の家のオーナーは2世帯で7匹飼っています。

 

日本では犬を家族として扱いますが、サモアでは大きく異なります。

タンザニアでもそうでしたが、あくまで「犬は家畜」です。

飼い犬でも平気で蹴ったり石を投げたりします(ホントに殺しかねない勢いで)。

肉にして食べるわけではないので、最低限の餌しか与えません。

もちろん体を洗ってあげたりもしません。

(中には、そうでない家もあるかもしれませんが、おそらくごく少数です)

なので、たいていの犬は(飼い犬でも野犬でも)痩せて&汚れて&お腹を空かせています。

 

以前「サモアは犬による咬傷事例がとても多く、隊員の半分は咬まれるらしい」と書きましたが。

その際も書いたとおり、危険なのは野犬よりも飼い犬です。

多分、野犬は後ろ盾?もないし、お腹が空いているし、常に石を投げられて追い払われているので、人を襲うという概念がない気がします。

通りの向こうから野犬が来ても、目線を下げてスッと道端に寄ったり、横道に曲がっていったりします。

飼い犬の場合は、柵の向こうでワンワン吠えたり、柵がない場合は吠えながら飛び出してきたり。

 

で、大学の校門から私の家まで、約700mは犬通り。

先輩隊員が「あそこの家は歩いていけない!絶対タクシー!」と言うくらい、山ほど犬がいます。

が、毎日通っていると、だんだんお互いに覚えてきます。

最初は威嚇していた犬も、少しずつ距離を縮めて、頭をなでられるまでになったり。

怯えて逃げていた犬も、安心して寝たままになったり。

多分どの犬も人が怖いだけなので、少しずつ無害なことを理解させると、少なくとも敵意は向けてきません。

 

↓向かいの犬。怖がりちゃん。

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↓目も合わせてくれない...。

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ところが。

ど~~~うしても慣れない犬がいるんです。

父母と子犬3匹の家族。

遭遇するたびに、遠くからでもワンワン吠えながら向かってきます(家に柵がなく、放し飼い)。

1匹ならかわいいものですが、5匹一斉に来ると(子犬と言っても、それなりに大きいので)、犬好きな私でもちょっと恐怖です。

囲まれてしまうと後ろは守りようがないので...。

 

初めの内はゆっくりなだめながら通っていたのですが、日が経つにつれ、向こうもだんだん距離を詰めてきます。

尻尾を振っているし、牙をむき出していないし、全体の感じからも襲うつもりはないのでしょうが...。

それでもかなりの勢いで吠えかかってくる犬が5匹。

やっぱり万が一を考えると、迂闊なことはできません。

 

サモア人のように石を投げたり(拾う振りだけでも)すれば逃げることは分かっているのですが、できれば良い関係を築きたいし。

毎日、どうしたものか考えていたのですが。

ある日、飼い主の男の子と話していても、私に対して吠えてきて。

「あ、やっぱりこれは敵意じゃないぞ」なんて思っていたら、その子が「うるさい!」と一喝して大きな石をブン!と。汗

それから数日、向こうから距離をとるようになりました。

 

ところが、最近また吠えながら向かってきます。

よーく観察すると、母犬がリーダーでした。

どの組み合わせでも、母犬がいない時は父犬も子犬も「吠えるけど、向かってこない」感じ。

母犬は一匹の時も、真っ先に吠えながら飛びかかってくる。

うーん、犬の世界も「母は強し」なんですね。笑

 

「彼女が一匹で、しかも時間があって相手ができる時」が来るのを待って仲良くなるしかないでしょうか。

いいアイディアがあったら、ぜひ教えてください。

 

↓暑い日中は日陰で昼寝。今回の写真は全部大学~家の間です。

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Samoa Walker

サモア人は歩くことが嫌いです。

もう本当にびっくりするくらい、ほんのわずかな距離でも車に乗ります。

 

例えば、私の家から大学までの間に小学校があるのですが、200mくらい手前の家から車通勤する人がいます。

初めは「今日は荷物が多いのかな?」なんて思っていたのですが、荷物とか関係なく毎日でした。

同様に、家からバス停までの200mくらい、旦那さんと息子を車で送っている奥さんもいます。

大学でも、先生が授業のために違う建屋に行くだけで車に乗ったります。

日本だったら、歩行に不自由な人でもない限り100%歩く(と言うか車に乗るなんて考えもしない)距離なのに。

 

あ、マイカーとは限らず、バスやタクシーも同様です。

村でのホームステイでも、毎朝バンのタクシーが学校に行く子供たちを乗せてました。

日曜の教会にも(同じ村内なのに)、タクシーで来る人が多かったです。

大学の生徒はバス通学が多いですが、家族が送り迎えする子も山ほどいます。

先生はほぼ間違いなく車通勤です(マイカーかタクシー)。

 

で、それが理由かどうかは知りませんが、バスもタクシーも非常に安いです。

バスはアピア市内(表現が適切じゃないかも)だったら、どこでも1回1~1.5WST(≒45~68円)で乗れます。

タクシーは(メーター制ではないので経験則ですが)、700m/1WST(≒45円)くらい。

換金レートではなく、サモア人感覚だと1WST=100円くらいだと思いますが、それでもかなり安いですよね。

 

ほとんどのバスは18時くらいには終わってしまいますし、土曜午後や日曜には走っていません。

そのためか、タクシースタンドが各村に1つくらいは必ずあって、基本的にいつでも誰かがいます。

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...だから太るんじゃないの~?笑

昼間は暑くて、ちょっと歩くと汗が吹き出るから、気持ちは分かるけど。

少しは歩こうぜー。

なんて思ってました。

 

が!

隊員によっては「職場の人は結構な距離を歩いて通勤してる。みんな、お金ないから」と言ってたり。

私の家がお金持ちエリアに位置することや、職場も大学で、周りにお金持ちが多いから勘違いしているのかもしれません。

それにしても街中を歩いている人、滅多に見ないんですが...。汗

 

ともあれ。

首都アピアでも、朝と夕方は混むにしても、渋滞には至りません。

信号がない交差点での右折など、譲り合いの精神が強いことが影響しているのだと思います。

また、タクシーが安くて、スタンドがそこかしこにあって、しかもシェアしたり、というのは便利だしエコだし、いいことですね。

日本のように狭い土地に人口が集中している所こそ、見習いたいシステムです。

 

↓特に雨の日は送り迎えも多くなります。ロータリーにどんどん車が入ってきます。ふだんは校門までのバスも構内まで入ってくれます。

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協力隊員のイメージと現実

「アフリカで井戸掘るの?」

協力隊に参加すると言うと、こんな反応が返ってきます。(実話)笑

 

まぁこれは極端な例としても。

一般的なイメージとしては...

 電気も水もない場所で

 家と呼ぶにはためらわれるような小屋で寝起きして

 真っ黒に日焼けしながら

 黒人と一緒に屋外で仕事する

という感じでしょうか。

 

もしかすると、協力隊に参加しよう!という人が初めに持つイメージも、大差ないのかもしれません。

サモアから帰国する先輩隊員を送り出して、すごく印象的だったのは「サモアなんて考えてもいなかった。本当はアフリカに行きたかった。」と口々に言っていたことです。

帰国隊員だけではなく、私が話を聞いた中で「サモアが第一希望!」という隊員は皆無。

もちろん「だからイヤだった」という人もいませんでしたが。

やっぱり一番人気は「アフリカ」でした。

 

でも...アフリカって広いですよね。

地中海沿い、東・西、内陸、サブサハラ、国・地方によって文化も経済状況も言語も、大きく異なります。

日中韓のように古くから影響を与え合って似ている国はありますが、「アジア」と一口に言って、例えば日本とタジキスタンを一緒にされたら、「いや、多分だいぶ違いますけど」って思いますよね?笑

 

で。

「協力隊」でイメージされるのは、おそらくサブサハラ(まさにタンザニアとか)。

本当に貧困なエリアで、水資源や農業に従事している図だと思いますが。

前回の2005~07年も、2017年現在も、そんな隊員はほぼゼロです。

 

もちろんアフリカへの派遣人数は最大ですが、同様に中南米やアジアにも多く派遣されています。

中には、中国、フィリピン、インドネシア等、途上国とは言えない中進~中興国もあります。

しかも(昨日書いたように)首都に派遣されることが多いので、地方出身者にとっては、地元より派遣先のほうがよっぽど都会!なんてことも多々あります。

いやサブサハラだって、ナイロビ、ダルエスサラームヨハネスブルグアディスアベバなど、どこも大都会ですね。

 

余談ですが、12年前の話。

同期隊員がマニラに派遣直後、腸チフスで入院したので、お見舞いメールすると即レスでした。

どういうことか尋ねたら「病院に無線LANが飛んでる」と!

その当時は日本でもそんな病院、ほぼなかったのに...。

 

最近は、電気・水などのインフラが(止まることはあっても)ないエリアに派遣されることは多分ないかと。

 

家も、防犯上の理由でJICAが認める住居でないとNGなので、かなりしっかりしています。

治安が悪いエリアは警備員がついたり、中南米を中心にホームステイだったり。

 

そして職種も、農業やインフラ業は減り、今は教育系が中心です。

もちろん、木に黒板を打ちつけて青空授業!なんて学校は幻想です。

程度の差こそあれ、校舎があって、黒板と机・いすがあって、制服を着た生徒たちを教えます。

特にPC系の派遣も多く、エアコンが効いた教室にずらっとPCが並んで、という図も珍しくありません。

 

物資も、たいていは近くの先進国から輸入されてくるので、(高いにしろ)存在してます。

マクドナルド、SUBWAY、Levi's、NIKEなど、グローバリゼーションを肌で感じます。

 

アピアのスーパー。

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...だからなんなんだ。

 

えーと。

協力隊員は、想像されているより多分ずっと便利で豊かな環境で生活・仕事しています。

不便はあっても、日本の生活よりよっぽど低ストレスに感じる隊員のほうが多いかと思います。

 

なので...

 

>協力隊への参加を考える人

勝手なイメージで立ち止まらず、思い立ったが吉日。さっそく応募してみてください。

合格してから悩めばいいんです。笑

アフリカでも、どこでも楽しめます、きっと。

 

>周りに隊員や関係者がいる人

「変わってる人」扱いせず、優しい気持ちで付き合ってください。笑

首都隊員

JICA事務所や大使館は、どの国もおそらく間違いなく首都にあります。

 

※厳密には、タンザニアのように首都(ドドマ)ではなく、旧首都(ダルエスサラーム)だったりしますが、実質的な最大の都市という意味で「首都」と呼んでしまいます。

 

そして、協力隊員も首都に派遣される数が圧倒的に多いです。

おそらく首都隊員が全体の25%を下回る国はないのでは?

中には(特殊ですが)ほぼ100%首都隊員という国もあるようです。

 

首都はたいてい水や電気があって、買い物に困らず、いざという時もJICA事務所や病院が近くにあるし、助け合える隊員もたくさんいます。

一方、治安が悪いことが多く、日本人社会の付き合いが多かったり、都会的過ぎて伝統文化が味わえなかったり。

...ということで、一概に首都隊員が望ましいか、というと難しいところです。

 

↓JICA事務所と大使館がある商業施設。人いっぱい。

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私はタンザニア時代、首都からバスで12~14時間の地方都市で、隊員1~4人で活動していました。

それなりに不便も不安もありましたが、むしろ逆にそれを楽しめた感があります。

もちろん首都隊員をうらやましく思う瞬間もありましたが、アフリカに来てまで日本人社会の付き合いに巻き込まれたり、タンザニアらしさが薄いところなど、自分は首都じゃなくてよかった!と感じることのほうが多かった気がします。

 

で、サモア

例外ではなく、私も含めて半分以上が首都隊員です。

「日本人アパート」と呼ばれるくらいの人数が同じ敷地に住んでいたり、2~3人が同じところに住んでいたり。

安心・便利と思うか、協力隊っぽくない!と感じるか、本当に人それぞれでしょう。

 

付き合いという点でも、例えば先週は

 水:カフェでBBQ

 木:日本人アパートで物品シェア会

 金:シニアボランティア宅でパーティー

 土:テニス

 日:隊員ドミトリーでBBQ

と、先輩隊員の帰国タイミングということもあって、私の知っているだけでも超盛りだくさん。

 

...こんな首都での生活を、元地方隊員の私は今どう思うか?

 

 

本当に正直に言って、「どっちもありだなー」です。笑

 

ほぼすべての道路が舗装された街中は、店が多く、バスもたくさん走り、日本の地方都市よりよっぽど活気があって栄えています。

サモアらしいところは、人と気候くらい?かもしれません。

水も電気もほぼ止まることなく安定しているし、職場はエアコンも効いて、PCも使えて。

いわゆる一般的イメージの「協力隊らしさ」は皆無かと。

↓マックもあるし。笑

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それはそれでOK!って言い切っちゃうと嘘になります。

でも状況がどうあれ、大事なのは楽しむことだよな、と。

日本人社会の付き合いだって、強制されるわけでもないし。

上に書いたイベントも、もちろん全部参加したわけではありませんが、参加したらしたで楽しいんですよね。

 

多分、協力隊員や海外移住者(転勤含む)に一番向いている資質は「何でも楽しんでしまえる性格」なんじゃないでしょうか。

日本と違う、事前のイメージや理想と違うetc.、そんなのは当たり前なので。

郷に入っては何とやら。

柳のように柔軟に行きたいな、と思います。

 

...ということで、昨日は呑みすぎたのでサボりました。笑

サモアの命綱

昨日、職場の窓から見えるくらいの大きな客船が港に停まっていました。

街に出ると、年配の白人がたくさん。

「P&O Cruises」と書いてあり、イギリスの船らしいです。

 

思い返すと、サモアに赴任して約1ヶ月半で、QE号、ピースボート、今回で計3隻。

村でのホームステイ中など、気づいていないこともあり得るので、結構な数の客船が来るようです。

 

が!

いずれも滞在はごく短時間。

今回も昼前に着いて、18時には出航でした。

...うーん、そんなにサモアって見どころない?

と思いましたが。

 

よく考えると、アピア港はサモアの大動脈なんでした。

ほぼすべての輸入品がアピア港から入ってくるので、客船を長い間停泊させる訳にはいかないんです。

アピア港以外にタンカーレベルの大きな船を停められる港はない上、アピア港自体もそれほど大きくないので、大型客船1隻停まると、もう貨物船は停まれません。

ということで、「停まりたくても停まれない」が真実です。きっと。

 

サモアで輸入が止まったら、本当にあっという間にみんなが困ります。

何か災害でもあってアピア港が機能しなくなったらどうするんだろう?

 

...そんな訳で、アピア港、拡張工事が行われています。

日本のODAで。

桟橋が今の2.5倍?3倍?になるそうです。

近いうちに大型重機が設営されるそうなので、そうなったら見物に行ってきたいと思います。

 

↓出航。サモア人も海水浴します。
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飲酒 in サモア

サモアでは、公共の場での飲酒が違法です。

なので、お花見とか公園でBBQとかできません。

あ、お酒なしならOKか。笑

 

...ま、そういう国、多いですよね。

日本みたいに昼間から公園でビール飲んでもOKな国のほうが珍しい。

 

キリスト教が影響しているのか、日曜はアルコールの販売も違法です。

日曜も営業しているスーパーでも、お酒売り場やビールの冷蔵庫に鍵がかかったり。

隊員ドミトリーのすぐ隣にある店ではこっそり売ってくれますが、周りに人がいない時を見計らって、段ボール箱など中身が見えないような入れ物を持っていくのが最低限のマナーとのこと(そりゃそうだ)。

 

そして先日もチラッと書いたように、飲酒自体をNGにしている自治体(村)も!

私は首都アピアにいますし外国人なので、仮にNGな自治体だったとしても、お目こぼしされそうですが、ちょっと地方に行くと協力隊員であっても(本人が気を使って、という側面もあるにしろ)飲酒できない村もあるそうです。

 

さらに!

そもそも外で呑む、という文化が根付いてはいないようです。

パブや、それに代わる店がありません。

イギリス→NZ→サモアという文化の流れがここでは機能していないんですね...。

 

と言うよりも、そもそも飲酒するサモア人が限られている印象です。

ステイ先でもパパ世代以上の男性はみんな呑みますが、若者~子供たちと話すと「大人になっても呑まない!」とのこと。

思わず、「いやー、お酒は嗜みだぜ?人生が豊かになるんだぜ?」なんて、悪いオッサンモードに。笑

 

もちろん、レストランではビールを飲めますし、ふつうに呑むサモア人もいます。

大学のイベントでも職員が毎週のように(構内で)呑み会を企画しています。

「呑む」となったら、サモア人は体も大きいので、ものすごい量を飲みます(大瓶8本=6Lとか!)。

が、仕事終わりにいつものパブで一杯とか、スポーツバーでサッカー見ながら皆で盛り上がるとか、そういう文化はないようです。

タンザニアでは、そういう「呑みニケーション(死語?)」で地元の人と仲良くなった部分もあるので、けっこう残念です。

 

あ、ちなみにビーチでの飲酒は?というと。

公共の場だからNG、かと思いきや、ビーチは村のものだからOK!(公共じゃない)

でも村によっては、そもそも飲酒がNGだから注意、と。

 

↓ステイ先が呑む家でよかった!他は呑まない家庭も多かったらしい。

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村でのステイ先-4 「楽園の傷跡」

3日に亘って書いてきたように、私のステイ先は非常に恵まれていました。

村にいたオランダ人ボランティアにも、「なんていい家庭にホームステイしてるんだ!これ以上のステイ先なんてないよ!!」と言われるくらい。

 

特に、すぐ海に出られる点は大きく、毎日ひたすら潜ってました。

日本から持っていったウォータープルーフの日焼け止めを塗っていても、一週間で真っ黒。汗

 

一家の持ち物である、Nuusafee島にももちろん上陸!

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一周歩くのもあっという間の小さな島ですが、人の手がまったく入っておらず、まさしく楽園としか言いようのない、完璧なロケーションと景色。

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潜って昼寝して、潜ってご飯食べて、カニ採って潜って、みたいな。

ボランティアであることを忘れて、パーフェクトなリゾートを満喫しました。笑

世界の色々なリゾートに行きましたが、これ以上の環境はなかなかありません。

 

↓この日も午前中だけで大漁。

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食事は、水とタロイモだけ持っていき、獲った魚をそのままいただく。

味付けはもちろん海水!まさしく踊り食い状態。笑

↓食べかけ失礼。

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ただ、潜るとよく分かるのが、津波の爪痕。

ウポル島の南岸・東岸は、2009年の津波で壊滅的な被害を受けました。

そうと知ってGoogle Earthを見直すと、海岸線沿いに透けている浅瀬が意味を持って見えてきます。

地震後、かなりの世帯が内陸(幹線道路沿い)に引っ越したそうですが、それもよく分かります。

実際、海沿いを歩くと、空き家や基礎だけ残った家の跡などが多くありました。

 

当然、海の中にも影響があって。

津波で倒れたり引き抜かれた木々が海底に沈んでいたり。

大量の土砂を被ったサンゴは死滅し、ほぼグレー一色です。

この広大なサンゴ礁が、かつてはどれだけきれいだったか、想像するだけで切なくなります。

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何よりも救いなのは、サンゴが復活し始めており、一部は花畑のように色とりどり芽吹いていることです。

魚もたくさんいます(黒いのも魚ですよー)。

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10年、20年のスパンで元通りとはいきませんが、このまま人の手に触れることなく、ゆっくり回復してほしいと思いました。

死ぬ前にもう一度見に来たいなぁ。

 

↓なんと言っても一番の魅力は陽気なサモア人。笑

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